先ず龍馬が日本で初めて作った会社、亀山社中、その資料展示場へ❗️
路面電車で近くの駅まで行き、あとはひたすら登ります?
かなり登ります?
急な石段の階段を登ります?
ひたすら登ります?
はぁ、はぁ、ゼェゼェ、汗だくです??
写真を拡大して頂ければ分かると思いますが…分かります? そう!なんと!閉館中❗️???落胆しながら、諦めて下ります?
一応ここは現在では資料展示場になっていますが、元々昔は良林亭とゆう日本で先駆けの西洋料理のお店だったそうで、6畳一間で、6人以上はお断りだったそうです。それにしても江戸時代末期に西洋料理専門店があったとは?ここからのちに場所を移し「自由亭」と名前を変え有名になって行ったみたい、まさに西洋料理発祥の地❗️
ま、でも落胆の色は隠せないまま下ります?
は〜ぁい??
下っていると、途中で「亀山社中跡こちら」の木札を見つけました?矢印は上の方を指してます?
せっかくなので気を取り直して又登ります?
入場料を払って中に入るとおじさんが一つひとつ丁寧に説明してくれました?
龍馬の紋服とブーツ ?ブーツは復元だそうです。紋服のサイズから推定で、龍馬の身長は173cm位あったみたいで当時にしたらかなり大柄だったんですね?ブーツのサイズもデカかったです❗️
龍馬が愛用していたピストルと坂本家の家宝の刀です?
当時、家宝は長男が譲り受ける習わしで、末っ子の龍馬はこの刀を長男に譲ってくれるよう何度も頼むのですが、その度に断られ、それでも余りのしつこさに、とうとう龍馬が譲り受けたそうです?
坂本龍馬立像の肖像画、この肖像画は武田鉄矢から寄贈されたものだそうです?
龍馬のカラー写真⬆️
宮田のふざけた写真⬆️
宮田のふざけた写真パート2⬆️
亀山社中が無くなっ後は、この建物、茶屋になったり、戦前は人が住んだりしてたみたいですが、戦後は廃虚になっていて、司馬遼太郎が小説「おーい龍馬が行く」を書くにあたって、視察に来た際、廃虚になってるのはあんまりだとメディアに流した事がきっかけで、再建されたそうです。再建の際、柱など色々な部位は当時の本物を使っているそうです?
よくよく聞くと意外な事に当時もその後も龍馬は庶民からは人気がなかったようです?
人々は龍馬の事を、白袴(シロバカマ)と呼んでいたみたいで(白の袴を履いていたことから)名前では呼んでなかったみたいですね?
考えてみたらそりゃそうかも知れません?
江戸の平和が長く続いた時代、江戸時代末期は武士の数も減っていた頃、血の気の多い若者が、しかも脱藩浪士がピストルと刀を持って町を歩かれたときには、皆んな怖がりますよねー?
龍馬の人気と認知度は現代になってテレビ?の龍馬伝の影響なんでしょうねー?
歴史は常に勝者から見た歴史で、時代を経て美化されて行くんだろうなぁ?
なんちゃって?